2018年6月5日火曜日

離れてみて分かる存在価値。





先週の土曜日と日曜日、二日間続けて小中学校の子供の運動会でした。

当然ですが、ハイヒールは履いていけず、二日間ともフラットシューズ。

しかも事前に学校からの通達文に

「人工芝につき、ハイヒールは不可。」との断り書きがあった。

割り切って久しぶりに、万が一のためのフラットシューズに足を入れたのですが

すぐに気分がダウン。

腹筋や足の内側の筋肉を使わなくても歩ける感覚は

楽だからこそ、緊張感や高揚感が感じられない。

バランスを自分で取らなくても歩けるということは

体重が外に流れても意識しないし

姿勢を悪くして歩いても、腰に負担がかかろうが気付きにくい。

なんだか気持ちまで流されて歩いている気分にもなった。

運動場を歩き続けると、身体の調子もイマイチ良くなかったので

途中、フラットシューズであっても、爪先立ちで拇指球にのみ

体重を乗せて歩こうとする自分がいました。

なんとか感覚だけでも取り戻そうと、あがいてしまった。


帰宅して夕方出かける時に、ハイヒールに足を入れた途端

眠っていた筋肉が起こされたかのように

ふくらはぎから緊張感が現れました。

歩くスピードも落として、一歩一歩、背筋や腹筋、膝、拇指球へ決めるという

意識が自分に入る為

気持ちも「丁寧に歩こう」という気持ちへ集中できます。

この気持ちの変化を味わうと、やっぱりハイヒールが好きなのだと

一旦、ハイヒールから離れたからこそ、しみじみ感じた出来事でした。


私にとって、ハイヒールは美しい波動を受けることで

気持ちを高められる大切な存在であるとともに

頭と身体を同時に使うことで、自分の内側に集中できる、自己世界への扉。

心地の良い緊張感を与えてくれるこの美のツールを

是非、一人でも多くの女性には体感して頂きたい。



愛と感謝を込めて。   Les Caprices ・ 凜

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