2019年1月23日水曜日

女性は奴隷ではなく、素晴らしい存在




今日は心に溢れ出るままに、綴ってみます。

子育てをしていて、周りの優秀なお母さん達を見ていると
凄い!と感心する反面、出来てない自分に落ち込んでいた。

過去形なので、今はその様な感情は湧いてこない。
昔、比較してエゴが湧き、失敗した経験があるので
苦しんだ分、私が得た教訓です。
対象は常に、自分である。

私は料理は得意でなく、寧ろ掃除や片付けの方が好きです。

今は割り切っているので、楽になったが
以前は出来ない自分を低く感じたり、もっと料理が好きなら
主婦業が幸せなのに、、、とマイナスな気持ちでいた。

今は、出来なくとも他で力を発揮できると思っているので
やっと料理下手コンプレックスから抜け出せた。


海外を見渡すと、世界に比べて日本人主婦ほど
掃除に洗濯や毎日の料理、育児と学校や地域活動への参加や役員業
そして仕事をもこなすという
女性一人で何役も担う、優秀な母親をする国民は滅多といないと思う。


私の周りの友人の一人も、早朝から3人分のお弁当を作り
直ぐに仕事先へ向かい、終わったら、子供のお迎え。
そのあとは、習い事の送り迎えに、合間をぬって夕食の準備。
家族の皆が寝た後に、部屋と洗濯物の片付け、、、と
聞いてるだけで、彼女の身体から、悲鳴が聞こえてきた。

頑張り過ぎている女性が多く、また、甘えているのかも?しれない
男性(夫)も多い。

勿論、男性と女性の役割がそれぞれにあるわけだし
双方が納得しているのなら良いが
なんだか、まだまだ日本は女性が家事育児の全般を担い
男性は外でしっかりと稼ぎを得ていれば、それで良い。
という古い考え方も、まかり通っている気もする。

男性の中には、奥さんを労わり、育児に大いに協力する方も確実にいる。
最近の授業参観や健康診断にも、父親が一緒だったりもする。

お父さんがベビーカーを押しながら、赤ちゃんとお散歩する微笑ましい光景も
今では珍しくない。
働らく女性が増えてきたので、必然的なのでしょう。


少しづつ、日本の家庭環境も変化しているとは思う。
しかし、田舎に行けば、まだまだ男尊女卑の地域もあるし
致し方ないとは思う。
私がここで叫んでも、変わらないのかもしれない。

けれど、未来を行く今の子供達の為にも
女性は決して家庭の奴隷ではなく
美しい存在であること、尊ばれる存在であることを伝えていきたい。

もっと女性が主張していいし、自由に表現し生きていく。
そのために自立する精神が必須ではある。

また出来ないことを、出来ない、やらない、と平然と主張しても良い。
男性の底力を養うためにも、
女性は出来るのに、敢えて手放して相手に任せても良いと思う。


もっと日本の女性が、働く女性が、母親が
縛りから解放されて、自分らしく生きていける世の中となります様
私も出来ることから始めたいと思います。




愛と感謝を込めて  Les Caprices・凜



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